底なし沼

日々思ったことや、日記を呑気に綴っていきたいと思います。

権威による教育者と尊敬による教育者

私は新入社員なので、新人研修をこれから受けようという立場にあります。

 

 

そこで、教育を担当する人事について思ったことを書きたいと思います。

 

 

教育者は、ただ知識を有しているだけでなく、教育者特有の資質が必要です。今回は、その中でも「威厳の保ち方」についての話題です。

 

 

教育者として威厳の保ち方として、その人事がそうだったのですが、飴と鞭を使い分ける古典的な方法をとってるんですね。

 

普段はニコニコしながら、こちらサイドの誰かが何かミスしたら、びっくりするくらいきつく怒るんです。

 

そして、また怒るのが終わったらにこやかに戻る。

 

 

よく考えれば、こういうタイプの人って中学時代の教師なんかにもいた気がします。

 

 

私は、このタイプの人を、権威による教育者と名付けています。

 

優しい面と厳しい面を両方見せることで、普段は慕われつつも、言うことはしっかり聞く教え子、という状態を意図的につくろうとしてるんですね。

 

 

これは多くの人に有効な教育法なのかもしれませんが、私は好かん。

 

 

私はけっこう裏の心理まで考えちゃうひねくれ者なので、そうやって意図的な教育者像を演じてるのがバレバレで、気持ち悪いんですよね。

 

この人本当はめっちゃ腹黒いだろうし、本音とか見えなくて気持ち悪。ってかんじちゃいます。

 

 

だって、教育者としての自分をセルフブランディングし、演じ切ってる大根役者なんかに、こっちの本音見せるわけないじゃないですか。信頼ゼロです。

 

 

 

私の望む理想の教育者は、尊敬による教育者です。

 

 

 

これも経験があるのですが、とにかく率先して自分の意見を言い、その発言がどれも非常に鋭い場合です。

 

 

なるほどな。この人頭いいな。すごい知識持ってるな。って、強い共感と尊敬の念を抱くんです。

 

すると、何も怒られたりして強制されたわけでもないのに、その人のいうことはよく聞くようになります。それは、強制されるよりより主体的で学びの多い有意義な時間に変わります。

 

 

でも、尊敬による教育は、とても難しいことだと思います。まず、圧倒的な知識や応用が求められるし、それを正しく示す度量も求められる。

 

結果、能力のない教育者は、権威による教育手段を選ばざるをえないのです。

 

 

 

そして、私はこう思います。「能力のない教育者に教育されてもなぁ。」

 

もちろん知識量や経験が相手に劣っている自覚はあるため、真摯に学びますが、どうせなら優れた教育者、そして鞭なんか使われなくてもしっかりできる同期と働きたかった、と思う次第です。